以前勤めていた場所の近所の路地は、夕方になると料理のにおいが
しました。
飲食店のにおいではなくて、一般家庭で夕飯のために作っている
ごはんのにおいという感じ。
あ、このうちカレー、とか、魚焼いてる、とか、換気扇を通して
素朴で安心する香りが漂います。
このあたりを密かに「夕ごはんベルト」と呼んでいました。
夕ごはんベルトからはいつも「待たれている人」の気配を感じました。
子どもなのかおとななのか、とにかくそこが誰かの帰ってくるべき
場所であることがわかりました。
地帯は一大生産地です。と言っても食事の生産のことではなくて、
待たれる誰かの日常を支えている拠り所という意味です。
夕ごはんはあくまで例えなので、ひとり暮らしであろうが、お金がなかろうが、
夕飯は食べない主義の人であろうが、その人にとっての夕ごはんベルトは
存在すると思います。
それは1冊の本が象徴するものかもしれないし、1本の映画かもしれないし、
もっと形のない抽象的な事象かもしれません。
いずれにしても誰もが誰か、あるいは何かに「待たれている人」だという実感と、
帰る場所が、その人を勇気付けてくれるように思うのです。
今年は今日が最終日です。
楽しかったことも困ったこともひっくるめての一年。みなさまはいかがでしたか。
願わくば来年も、夕ごはんベルトを頼りに、日々を強く過ごすことが
できますように。