わたがし

記憶はその人の興味関心の方向と強く結びついていて、

自分の好きなことであれば当然よく覚えるし、逆にまったく

関心のない分野についての知識は定着しにくいものです。

 

「あの先生はこういう柄の服を着てこんなことを言った」とか

「あの子は古典が得意で、先生に当てられて予習もしていない徒然草を

すらすら現代語に訳して読んでみせた」とか

わたしがとっくに忘れていたごく細かいエピソードを色々覚えている子が

いたり、

「外骨格系と内骨格系って、授業で習ったじゃん」

と指摘され、ああ、嫌いではなかったけれどわたしは生物の勉強に

関心が薄かったのだな、と今更気付かされたり、

誰かと話すとおもしろい発見があります。

 

わたしの中に大事なものとしてどっしり残る情報と、ふわふわと

すぐに溶けてしまうわたがしのようなはかない情報。

量でいえば、圧倒的にわたがし的情報が多いのでしょう。

もし、これをひとつひとつ拾い集めることができたら、過去はもっと

違う風に見えるかもしれません。